ある接骨院の院長は、週6日、朝8時から夜8時まで施術していた。
腰は限界に近い。首もきつい。でも、指名のお客さんを断れない。予約が入ると、まず院長の枠から埋まっていく。他のスタッフにはまだ空きがあるのに、院長の枠がいっぱいだからという理由で新規の予約を断る日が出てくる。
隣の施術ベッドでは、入社2年目のスタッフが暇そうにカルテ整理をしている。
この光景は、指名制を導入している整体院や接骨院では珍しくない。指名してくれるお客さんがいることはありがたいが、その指名が特定のスタッフに集中すると、院全体としては機会損失が広がっていく。ここまでいくと、指名制は美徳ではなく呪いだ。
数字で見ると分かりやすい。院長の1日の施術枠が8枠で、全部埋まっている。若手Aの8枠は3枠しか埋まっていない。若手Bは2枠だけ。院長は断っている予約が1日2件あるとすると、それは月に40件の機会損失だ。施術単価5,000円なら、月に20万円。年間で240万円。この売上は、若手スタッフの空き枠で受けられたはずの予約だ。存在しないのではなく、流しているのだ。
指名が集中すると何が起きるか
整体院における指名制の構造的な問題は、大きく3つある。
1つ目は機会損失。人気スタッフの予約枠が埋まると、他のスタッフに空きがあっても新規予約を受けられないケースが出る。お客さんが○○先生じゃないと嫌だと言えば、別の日に回すか、諦めて他院に行かれるか。どちらにしても、売上になるはずだった予約が消える。
2つ目は若手の成長停止。経験を積むには施術の数をこなすしかないが、指名が院長に集まる構造では、若手に施術の機会そのものが回ってこない。技術が伸びないから指名がつかない。指名がつかないから経験が積めない。この負のサイクルに入ると、若手のモチベーションが壊れる。早い段階で辞めていく原因にもなる。
3つ目は──これが一番きついのだが──院長の身体的限界だ。施術は肉体労働だ。1日に15人、20人と診ていれば、腕も腰も壊れる。でも自分が休むと売上が止まる。この恐怖から休めなくなり、慢性的な疲労で施術クオリティが下がり、やがて患者さん自身がそれを感じ取って離れていく。
施術中の電話対応を自動化しても、予約の偏り自体は解決しない。電話が減って助かるのは受付業務であって、予約の構造は別の問題なのだ。
おまかせ予約を戦略的に使う
指名制を完全になくすべきだとは思わない。患者さんにとって、担当の先生への信頼は施術効果にも関わる。特に慢性的な症状を診ている場合、経過を把握している先生に継続して診てもらいたい気持ちは自然だ。
だからこそ、おまかせ予約の枠を戦略的に設計する必要がある。
具体的には、新規患者の初回から3回目までは自動的に別々のスタッフが担当する仕組みにする。3回の施術で複数スタッフの技術を体験してもらい、そこから相性のいい先生に指名を入れてもらう。この方法だと、患者さんには選択権がある。強制配置ではなく、体験の結果として指名が生まれる。
これを運用するには、スタッフごとにどのメニューを担当できるかを設定しておく必要がある。腰痛専門の施術は院長と3年目のスタッフだけ、肩こりの基本的な施術は全スタッフ対応可能──というスキルマッピングだ。おまかせ予約が入ったとき、システムがスタッフのスキルとシフトを自動照合して最適な担当者を割り当てる。
リラクサロンのダブルブッキング根絶の記事で解説した3次元在庫マトリクス──時間×スタッフ×設備のクロスチェック──は、まさにこの振り分けを支える仕組みだ。指名予約が入ったらそのスタッフの枠を確保し、おまかせ予約はスキルと空きに応じて自動配分する。人手でシフト表をにらみながらパズルを解く必要がなくなる。
私が支援したある整体院では、新規患者の初回3回おまかせルールを導入した結果、3ヶ月で院全体の予約件数が15%増えた。若手スタッフに施術が回るようになったことで、稼働率の偏りが解消され、これまで断っていた枠でも予約を受けられるようになったためだ。
もう一つ、需要を分散させる現実的な手段がある。時間帯による指名料の導入だ。平日の昼間は指名料ゼロ、土日の午後は指名料500円──と設定するだけで、混雑する時間帯の指名集中を緩和できる。お客さんの立場からすれば、平日に予約を入れれば指名料がかからないわけだから、平日にシフトする動機が生まれる。結果として、曜日ごとの稼働率の山谷が均される。
これは値上げとは違う。院長の施術を受ける価値に対して対価を払うという、納得感のある設計だ。指名料を嫌がるお客さんは、おまかせ予約で若手スタッフに振り分けられる。それでいい。若手にとっては実戦の機会が増え、院にとっては売上が増える。誰も損をしない設計ができる。
若手スタッフの育成にも触れておきたい。指名が少ない=ダメなスタッフ、という単純な評価をしている院は多いが、この評価軸だけだとモチベーションが壊れる。指名数以外の指標──たとえば施術後のリピート率、患者アンケートの満足度スコア、院内業務への貢献度──を組み合わせた多角的な評価を取り入れるべきだ。若手が指名ゼロでも、担当した患者の8割がリピートしているなら、それは立派な実力だ。数字で証明できれば、本人の自信にもなるし、患者へ紹介するときの根拠にもなる。
カルテ共有が誰でも診れる院を作る
おまかせ予約を機能させるためには、もう一つ前提がある。カルテの共有だ。
どのスタッフが担当しても、前回までの施術内容、症状の経過、患者さんの要望をすぐに確認できる状態でなければ、担当交代のたびにゼロからヒアリングし直すことになる。患者さんは同じことを何度も聞かれるのを嫌がるし、施術の連続性が途切れれば、効果にも影響が出る。
紙のカルテでは、これが決定的に難しい。院長が頭の中に持っている情報量と、カルテに書かれている情報量には天と地の差がある。殴り書きのメモを見て他のスタッフが同じレベルの施術をするのは、現実的に不可能だ。
デジタルカルテに施術記録を蓄積しておけば、どのスタッフが担当しても前回の情報を確認してから施術に入れる。属人化の代償──エースが辞めても崩れないサロンの仕組みで書いた内容は、整体院にもそのまま当てはまる。
正直に言えば、カルテ共有だけで指名客の不安がすべて消えるわけではない。人間関係というのは、データで完全に代替できるものじゃないから。でも、院長が休んだときに何もできないのと、カルテを見ながら7割の精度で引き継げるのとでは、経営のリスクがまったく違う。
ある院では、カルテのデジタル化をきっかけに、あえて院長不在日を作ることにした。最初は怖かったらしい。院長がいない日は予約が入らないんじゃないか──と。でも、実際に月に2日ほど院長不在日を設けたところ、驚くことにその日も予約はほとんど埋まった。若手スタッフを指名する新しいファンが、少しずつだが確実に育ってきていたのだ。
ここで、ある院長がこぼした本音を紹介したい。 自分の患者さんが若手の先生を指名し始めたとき、頭では『これでいいんだ』ってわかってるのに、心が少しチクッとしたんですよね。ああ、自分じゃなくてもよくなったんだな、って。ちょっとだけ嫉妬しましたよ、と。
これはとてもリアルな感情だ。一人経営のサロンなら自分がすべてでいられるが、組織化するならこの寂しさをどこかで乗り越えなければならない。これこそが、職人から経営者へと脱皮するための成長痛なのだ。院長は自分の身体を休められるようになり、若手は自分の名前で予約を取れる自信を得た。あの少しの寂しさと引き換えに得たものは、院の未来そのものだった。
これは組織の話であると同時に、院長自身の人生の話でもある。週6で12時間働き続ける整体院の院長が、10年後も健康でいられる保証はない。自分にしかできないことに集中し、それ以外を仕組みとスタッフに任せる。その判断ができるかどうかが、1年後の稼働率ではなく、10年後の院の存続を分ける。
偏りを見える化するだけで変わる
予約の偏りが問題だと気づいていても、具体的に何人分の予約がどのスタッフに集中しているかを数字で把握しているオーナーは少ない。
まず確認すべきは、スタッフ別の稼働率だ。院長が90%稼働、若手が30%稼働なら、若手の60%分が埋まれば院全体の売上は一気に伸びる。この計算を、紙の予約台帳から算出するのは現実的ではないが、予約管理システムなら日次で自動集計できる。
小さな店のDX入門でも取り上げたが、デジタル化の第一歩として予約データの可視化から始めるのが最もインパクトが大きい。特に整体院のように複数スタッフが稼働する環境では、シフト×予約数×スタッフ別売上をダッシュボードで一覧できるだけで、打つべき手が見えてくる。
具体的には、まず曜日×時間帯のヒートマップを見てほしい。月曜の午前は院長が8枠中7枠埋まっていて、若手は8枠中2枠。水曜の夕方は全スタッフ5枠ずつ空いている──こういう偏りが数字で見えると、打ち手が明確になる。月曜午前については、院長の指名枠を5枠に制限して残り3枠をおまかせに開放する。水曜夕方については、SNSで曜日限定キャンペーンを打つ──等々。感覚でなんとなく偏っている気がすると言っている段階では動けないが、数字が出れば判断ができる。
こういう分析を月に1回やるだけで、3ヶ月後には院全体の予約構造がかなり変わっているはずだ。分析にかかる時間は、予約管理システムがあれば10分もかからない。10分の投資で、月の売上が5%変わるなら、やらない理由がない。
院長にしかできない施術は確かにある。でも、院長にしかできないことと、院長じゃなくてもできることが、ごちゃ混ぜになっているケースが多い。そこを整理するだけで、若手の出番が生まれ、院長は身体を守りながら、本当に自分にしかできない施術に集中できるようになる。
指名制は残していい。ただし、全予約が特定の人間に依存する構造は、いずれ破綻する。その前に、予約枠の設計という仕組みで、静かにバランスを整えていくのが現実的な選択だと思う。
この施策を打つとき、一番怖いのはなんで院長の予約が取れないの!という患者さんからのお叱りを受けることだ。実際、最初の数回は受付でチクリと言われることもある。私、ずっと院長を指名してきたのにと。その時の対応が運命の分かれ目になる。 申し訳ありません、実は院長がいま重症の患者さんに注力しておりまして……でも、今日の先生も院長が一番信頼している腕利きのスタッフです、と。 こう言って若手を堂々と紹介するのだ。クレームは、患者さんからの信頼を一時的に若手へ移譲するための絶好のチャンスでもある。それを恐れて初めから枠を全て開放してしまうと、いつまでたっても状況は変わらない。



